
穏田神社
- CLIENT
- 穏田神社
- AREA
- 東京都
- PRODUCTION TIME
- 2021/2月-7月
400年を越え、次の500年へ、いまの社会に必要とされる神社づくり。
- STEP 1課題
-
コロナ禍で来訪者が減り、渋谷の中心にある穏田神社の存在はさらに薄れつつあった。突如継承することになったものの相談相手もなく、日々の業務に追われ軸を持てずに対応を続ける限界を感じていた。全国で神社の存続が揺らぐ中、このままでは未来が描けないという危機感から、100年先も地域に残る神社をめざし、今と長期の両面で取り組むブランディングが求められた。
- STEP 2施策
-
まず渋谷・穏田地区の歴史と人々に向き合い、神社が愛されてきた理由を探った。その上で「変えてはいけないもの」と「時代に応じて変えるべきもの」を整理し、ワークショップを通じて理念を言語化。祀られる神様の価値を現代的に再解釈し、礼節や縁結びの意味を広げて具体化した。
- STEP 3結果
-
理念を言語化し施策を形にしていく中で、外部の反応だけでなく宮司自身の表情も変化した。突如の継承とコロナ禍で孤立していた20代の宮司にとって、「ひとりではない」と実感できたことが大きな支えとなり、覚悟を共有できる仲間が生まれた。さらにその姿勢が外へと届き、メディアからの声掛けや共に取り組みたいという動きも広がった。
少しずつ具体化する取り組みは、神社の未来を共に築く希望へとつながっている。
WORKFLOW - 2021/2月-7月
課題

2021年まだコロナ問題に世界が揺れる真っ只中、渋谷、表参道、原宿のちょうど真ん中あたり、原宿駅から表参道にかけて広がる、かつて「穏田」と呼ばれていた地域に400年続く穏田神社。人の入れ替わりが激しい地域で、神社の存在が薄くなっていく危機感がある中で、輪をかけてコロナで来訪者も減っている。突如神社を継がなければならなくなったが、相談できる相手もいなく、思いつく限りの手は打ってきたが手応えはない。
さらに大きな課題として、日々の業務に追われて考える時間もない中でやっていることに、軸もなく対応策をうちつづけていることが、これで本当にいいとは思えないという大きな課題があった。そんな限界を感じる中で思い至ったのがブランディングで問い合わせをいただいた。
神社は、営利目的に事業を行う場所ではない。けれど、神社経営に苦しむ全国の神社では倒産・廃墟化のニュースが後を絶たない中、渋谷にある神社とはいえ生き残りを考えていかなければならない状況は必然。むしろ、若い人が多い地区だからこそ、神社というものに触れたことも少ない人たちにもその存在を伝えていかなければいけない。見据える先は、5年、10年ではなく、100年先も地域に愛されつづける神社であるために、今できること、数十年単位でやっていくべきこと、その両方を見据えて考えていく必要があるプロジェクトである。
施策



プロジェクトのスタートは、まず渋谷のこと、穏田地区のことを知ることからはじまった。どんな場所で、どんな人たちに愛され、どうやって今日までやってきたか。これまで愛されてきた理由を探りながら、変えてはいけないものと、時代に応じて変わっていくべきものを探していった。その上でワークショップをしてその後理念を言語化していった。さまざまなことを振り返って行った中で、神社の価値も言葉にして行った。それは、もともと祀られている美と縁結びの神様の解釈を「礼節や伝統を知ることで外側だけでなく内側を磨くことでにじみ出る美しさ」であったり「男女だけにとどまらない、子どもからお年寄りまで幅広い年齢層の人たちが関わって生まれるご縁」と再定義し、より具体的に解釈することに努めた。
効果

神社の理念を言語化した上で、その理念を実現するためにやるべきことを少しずつ始めていくと、参拝者などの周りからの反応が大きく変化していった。その反応が届きメディアからの声掛けも多数もらい、さらには一緒に何かをしたいという声まで出てきた。
そしてそれだけではなく宮司の船田さん本人の顔つきが変わっていった。私たちが出会った当初の宮司はまだ20代の歳で、突如神社を継がなければならなくなったこと、コロナ禍であったこともあり、神社関係者の方々へ相談できる場をつくることも難しかった。そんな中ひとりじゃない、と思ってもらえたことも大きく、これから訪れるかもしれない荒波を乗り越えていくための覚悟を共有できる仲間になれたことが、私たちにとってもうれしいことだった。少しずつ、形になっていくブランディングの施策も楽しみなプロジェクトになっている。